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平成7年(1995年)1月17日午前5時46分52秒、淡路島北部を震源とした、M7.3の地震が発生した。 死者6,434人、行方不明者3人、負傷者43,792人を出した、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)である。 【被害概要】
()内は神戸市内 ここでは当時の神戸市消防局の対応と、当時の消防力などについて、詳しく、わかりやすく説明する。 なおここに記載している情報は、 平成7年発行 「阪神・淡路大震災における消防活動の記録」 神戸市消防局・神戸市防災安全公社 の内容を引用、及び、震災関係のHPに記載されている内容を参照し、それらをまとめて編集、掲載している。 ※「阪神・淡路大震災における消防活動の記録」は地方公共団体が広報を目的として発行している物であり、 著作権法上は引用にあたって著作権者に許可を得る必要はありません。しかし、このページでは大きく引用、 及びわかりやすくするために編集しているため、事前に神戸市消防局様に確認し、許可を頂いております。 ※「兵庫県南部地震」は地震の呼称、「阪神・淡路大震災」はそれによって引き起こされた災害の呼称 |
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〜〜〜当時の神戸市の消防力〜〜〜 |
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| 地震発生時の各署の部隊編成は、11消防署16出張所、80小隊、警備人員(勤務中の人数)は292人であった。 80小隊の内訳は、消防隊29隊、専任救助隊4隊、署救助隊7隊、特殊車隊12隊、救急隊27隊、消防艇隊1隊。 以下の表は震災当時の各署の消防・救急車両の配備状況である。 枠内の数字は車体番号を表し、「※」は存在してはいたが、車体番号が不明な車両を表す。 また、葺合消防署及び生田消防署は、震災後統合され現在は「中央消防署」となっている。 当時、車体番号80番台の車両はポンプ車であったが、現在はポンプ車で80番台は存在しない。 なお、これだけたくさんの車両が配備されているが、全ての車両に運用する人間がついている訳ではないため、 震災当時の当直隊員で動かせる車両は限られていた。残った車は、通常なら1台4〜5人の部隊が2〜3人の 特別編成として2台に分乗したり、後から非常招集で集まった隊員が運用した。 ※赤字は本署 震災当時の車両配備状況
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〜〜〜震災当日の消防体制〜〜〜 |
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| ここでは震災当日の消防の活動や被害等を、時系列表を交えながら見ていく。 <消防庁舎の被害など> 震災による被害が特に大きかった生田消防署、葺合消防署、東灘消防署青木出張所は共同住宅との 複合用途建物であり、コンクリート柱や耐力壁に亀裂が生じて危険な状態となった。 また、ポートアイランド(人口島)にある水上消防署は、液状化現象により庁舎が傾斜した。 発災後、青木出張所は即座に東灘消防署に移転(避難)、葺合消防署は署の南200mに位置する 大阪ガス兵庫供給部の全面的な協力を得て、緊急に施設を借り受け18日に仮避難し、業務を行った。 また生田消防署は22日から23日にかけて本署の大部隊を栄町出張所に移転した。 水上消防署では周辺の地盤が陥没したことにより消防車両が一時出動不可能な状況であったが、 職員総出で陥没部に土嚢などを敷き詰め、順次消防車を外に引き出して出動体制を整えた。 その後、敷地内に50uの仮設待機室を2棟建設し、夜間は避難する処置をとった。 その他各消防署の被害状況は以下の通り。
<管制室の状況> 地震発生とほぼ同時に、合計118回線ある119番通報受信専用回線が全て受信状態となった。 この時、官制室には指令台勤務者4人と主査1人が居り、係長は事務室に、7人の職員は仮眠を取っていた。 その後119番通報は止む事なく鳴り続き、受信件数は6時までに36件、7時までに441件、 17日だけで6,000件を超えた。これは平成6年中の平均受信件数の10倍を軽く超えている。 通報内容は、多いものから家屋倒壊、生き埋め、ガス漏れ、火災の順で、初期段階では火災通報は殆どなかった。 管制室ではFAXが転倒し、OA機器が転落した。ガス臭が漂ってきたため、職員4人が庁内のパトロールに走った。
管制室では長田管内の建物火災へ第二出動の指令を行おうと操作中であったが、 他にも兵庫・須磨・灘などから火災通報が数件入ってきた為、同時多発火災であると判断。 そのためそれぞれの所轄(消防署毎)で対応させる方針をとった。 (これには「管制システム運用要領・第5章 水防活動部隊の運用」を準用) また各消防署別の被害状況をホワイトボード2枚で掲示する準備を行なった。 119番で受信した内容を各消防署の消防係長に内線で伝えようとするも、 繋がりにくかったため指令電話で各消防署へ連絡した。 その間にも各消防署には、火災や救助を求める駆け込み通報が殺到した。 しかし全部隊が出動しているため、情報通信勤務員は市民に対し、 理解が得られるよう懸命に現在の状況の説明に当たった。 消防力をはるかに超える災害発生件数に対して、現状の施設及び人員を活用し、対応するしかなす術はなかった。 火災は地震発生直後に少なくとも市内58箇所で同時多発的に発生している。 監視テレビが地震の影響で使用不能になったため、小型カメラを持った職員2人が市役所1号館24階へ向かい、 「灘方面に炎・煙が5箇所、中央区に1箇所、長田方面は火災による黒煙で雲が発生した様な状況であり、 無数の炎を確認」と連絡が入る。(長田区では火災旋風が確認されたと言う市民情報もある)
市街地では消火栓が一部の地域を除き殆どが使用不能の状態であり、火勢が非常に強いので、 消防隊は河川やプール等を水利に火災防御活動を行なった。 また他都市各消防隊に対しては、市役所3号館前を集結場所とし、目的消防署まで誘導を行なった。 一部では交通渋滞のため、事前に無線で連絡が入った隊については、直接現場に集結する場合もあった。 しかし阪神高速道路神戸線は倒壊し、東西に走る幹線道路(第二神明道路、国道2号線、国道43号線)は 避難や救護に向かう車で渋滞していたため、全国からの応援隊の到着は予定よりも大幅に遅れた。 消防署に到着した応援隊は所轄消防署長の指揮下に入り、次の配置方針に基づき防御に当たった。 現場配置方針 @人命(多数)危険方面 A延焼危険度の大なる方面 B延焼阻止線(避難所・福祉・医療施設) C水利不足方面 D分散配置後の手薄方面 また応援隊は以下の地区に重点的に投入された。 応援隊投入の重点地区 <消火活動> @長田区・須磨区・兵庫区(炎上地域の水利の確保) <救助活動> @長田区・兵庫区・須磨区(延焼前の早期救出・西市民病院倒壊) A中央区・灘区・東灘区(家屋倒壊地区の救出) <救急活動> @長田区(倒壊した病院からの転院搬送) なお他都市消防本部からの応援隊は、北は北海道から南は鹿児島県までの約450消防本部から、 最大で506隊2434人が駆けつけた。 札幌市消防局救助隊は民間航空機にて大阪空港へ向かい、レンタカーのトラックで現地入り。 東京消防庁八王子救助隊はヘリコプターで直接神戸ヘリポートへ現地入り。 横浜市消防局はポンプ車5台、水槽付ポンプ車5台に50名が分乗して出動した。 また火災規模に比べて水が絶対的に不足していたため、本部指揮所は消防艇による海水利用を決定した。 海岸部から火災現場までは40〜50隊の消防隊とホースが必要であった。 そのため各消防署及び消防団の応援出動とホース等の資器材の集結を指示するとともに、 長田管内の消防隊に対し、海水を利用した防御体制への変更を指示した。 一方、本部指揮所では、次々と連絡の入る全国各地からの応援隊の情報の整理と、 投入地域への割り当てを行なっていった。 18日 3時00分 兵庫区上沢地区の火災鎮圧。 14時20分 長田地区の火災鎮圧。 32時間にわたり続いた火災も、神戸市の消防隊、消防団、 各都市からの応援隊等の懸命な防御活動により、火勢鎮圧を向かえた。 <救急活動の指揮統制> 地震発生後、参集してきた救急班は負傷者の発生状況の把握に努めるとともに、医療機関などと連絡を取り、 医療情報を収集したが、初期の時点では救急活動に必要な情報は殆ど得られなかった。 そのため直接市内の主要病院に電話連絡し、救急患者の受け入れ情報を収集、各消防署に通知した。 救急班長は被害の大きかった長田区に出動し、患者の受け入れを要請する一方、病院関係者と連絡調整し、 共同病院のマイクロバス等による三木市民病院、小野市民病院、西脇市民病院および国立明石病院等への 負傷者の転院搬送の指揮を執った。次々と到着する応援救急隊を指揮、市外及び県外への転院搬送を実施した。 翌18日には、病院の損傷及び断水により多くの人工透析患者等を遠隔地の病院へ搬送する依頼があった。 翌19日以降は各消防署の救急要請に応じて応援救急隊を派遣し、各消防署で派遣救急隊の統制を行なった。 <救助活動の指揮統制> その日、救助隊は検索棒とライトだけで活動せざるを得なかった。 資器材はほとんど市民に持って行かれ、たとえ仮に機材をフル活用出来たとしてもどうにもならない。 地震発生後参集してきた救助班は、市街地の被害の情報収集を行なった。 長田区・西市民病院では5階部分が崩れ、多数の生き埋めが発生した。救助班長はこの現場指揮に当たる。 現場には神戸市西救助隊(当時・第4方面専任救助隊)と特別消防隊、 さらに名古屋市・京都市・津山圏域(岡山県)・桑名市(三重県)の救助隊と警察が集まった。 ここでは要救助者43人の内35人を救出(1人は翌日救出・死亡)した。(23時30分) その後、救助班は翌18日夜まで長田管内の救助指揮に当たった。 19日11時25分、灘区王子競技場にスイス救助隊(隊員25人・救助犬12頭・通訳6人・随行3人)が到着した。 スイス救助隊は東灘・灘・長田区の災害現場で救助活動を実施し、22日までに9人の遺体を発見・収容した。 <特別消防班の現場活動> 防災センター長は17日、参集職員により7班(6人乗組)の特別消防隊を編成した。 同日10時30分、第1中隊(3個小隊)は長田管内に出動し、御蔵通地区の消火活動、 西市民病院の救助活動、消防艇(長田港)からの中継により水利の確保等を行なった。 18日15時30分までの間、第2中隊(2個小隊)と適時現場交代を行ないながら活動を続けた。 <航空班の活動> 17日9時20分、離陸準備が整い、市内の被害状況把握のため飛行し、全市の被害状況を無線で送り込んだ。 消防機動隊の基地である神戸ヘリポートの基地があるポートアイランドの陸路が途絶していたことや、 応援隊の今後の活動を考慮し、午後からは北区ひよどり台の防災センターにある消防へリポートへ拠点を移した。 17日、8都市(東京・千葉・横浜・川崎・名古屋・岐阜・大阪・京都)から9機のヘリコプターが応援に駆けつけた。 以後、札幌・仙台・宮城・埼玉・島根・香川・北九州など各地から隊員・資器材を乗せたヘリコプターが次々と集まり、 さらに、海上保安庁・川崎重工梶E朝日航洋梶EJR東海梶E東邦航空の協力ヘリコプターも加わった。 これらのヘリコプターの航空管制は消防機動隊が行なった。 自衛隊、民間協力ヘリ等は消防へリポートのほか、付近にある兵庫県消防学校、しあわせの村スポーツグランドに 支援物資等の搬送のために着陸した。しかし自衛隊、民間協力ヘリと消防との連絡調整が困難であったことや、 特に民間協力ヘリの動きが把握できず、消防へリポートでの着陸及び空域の統制は困難を極めた。 18日、物資搬送の着陸場として、灘区・王子陸上競技場、中央区・東遊園地、長田区・西代市民グランド、 垂水区・平磯公園の4箇所を設定した。(のちに西代市民グランドは兵庫区・御崎中央球技場に変更された。) また、ヘリによる救急活動は全てが転院搬送であった。 被害の大きな隣接地からの要請や医師搬送の要請も有り、休む間も無くヘリ搬送が続いた。 なお、ヘリコプターによる消火活動については、検討はされたが次の理由から実施していない。 ヘリによる空中消火を実施しなかった理由 @市街地の大火災で消火効果を高めるには、多数のヘリコプターを集中して導入する必要が有り、 現実問題として困難かつ危険であること。 A屋根等の構造物の影響で、有効注水が得にくいこと。 B落水の衝撃で家屋倒壊を助長する危険性や、要救助者に危険が生じること。 C消火効果を高めるため低空飛行を行なった場合、ヘリコプターの吹き下げ気流の影響で、 火勢を拡大する危険性が高いこと。 D市街地での火災エネルギーは非常に強いため、低空飛行はヘリコプター自体が危険であること。 ・上空での酸欠によるエンジンの停止 ・上昇気流による操縦困難性 後に市民から、ヘリコプターによる消火活動を実施しなかったことについての意見が多く寄せられた。 <車両等の状況> 地震の激しい揺れにより、車庫内の消防車両が上下前後左右に移動し、 他の車両や庁舎壁面等に接触する等、車両の被害も少なくなかった。 また、地震直後の瓦礫が散乱する現場の消防活動が長時間に及んだため、 クラッチ・ブレーキ・タイヤ・バッテリー等が損傷した車両も多く、応急修理で対応した。 特に臨海地域では液状化現象により噴出した泥の影響で配線の絶縁不良が発生し、車両操作に障害が生じた。 他都市応援隊の車両にも緊急に整備を行なったが、神戸市内では必要とする部品を入手することができず、 派遣都市からの出張修理や部品調達を行った。各消防署では余震による庁舎の倒壊を懸念し、 尚且つ周囲からのガス臭により爆発等の危険を考慮し、消防車を車庫から人力で押し出すなどの対応を取った。 消防車両の燃料も不足したが、地元のガソリンスタンドのご厚意で燃料の提供を受ける事が出来た。 <情報通信網> 地震により無線中継所が倒壊する等の被害はなかった。 中継所は停電はしたが非常用の発電機が作動し、機能障害は起きなかった。 電話はNTT回線を使用しているが、NTT電話局の交換機の故障や通話の輻輳で、 電話(内線を含む)の使用は困難であった。 消防署の電話交換機は非常用バッテリーで24時間程度使用できるが、 長時間の停電であったため容量不足となった。 その為、電話交換機を介さずに行なう緊急措置をとった。 その後、情報システム用の発動発電機から電気を供給する等の措置をとり、 電話交換機による対応が可能となった。防災行政無線は使用可能であった。 また、メーカーから提供を受けた60台の携帯無線機の内、40台を災害現場活動用に、 のこり20台をその他被害情報の収集用に消防署へ配布した。 さらに他都市応援隊到着後は全国共通波により連絡を行なう必要が生じたので、 大規模災害時に所轄毎で無線運用ができるように設けている無線電話装置に、 緊急に全国共通波・県内共通波・防災波を実装した。 <宿所> 他都市応援隊の宿所として、市の福祉施設・しあわせの村、兵庫県消防学校、 防災センター内の神戸市消防学校等を確保した。 神戸市消防学校では研修生用に布団が50組しかなかったため、緊急に仮眠用の布団を調達するとともに、 研修生用の宿泊施設を開放した。しかしピーク時で応援隊が2,000人を超えた為、緊急に神戸港に船舶を確保。 1月20日から31日までは客船オリエントビーナスに、それ以降2月28日まではフェリーニューしらゆりを手配した。 しかし全ては収容しきれず、消防署の会議室・事務室・車庫・消防車内・テント等で仮眠をしてもらった隊もあった。 〜おわりに〜 未曾有の大震災を経験した神戸市。しかし、この震災による神戸市消防職員の殉職者は一人も居なかった。 しかし、職員のご家族の死亡や、家屋の倒壊等、職員の多くが被害に遭われている。 兵庫県南部地震の被災者の方々にご冥福をお祈りすると共に、東北地方太平洋沖地震及びその余震等による 被災者の方々に、心よりご冥福とお見舞いを申し上げます。一刻も早い復興をお祈り致します。 |
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